presented by Kawana Satoyama Ranger tai
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川名里山レンジャー隊って? part2ー 今明かされるレンジャー隊の歴史 ー私たちは藤沢市南部に残された川名緑地、特に川名清水谷戸を後世に伝えようと活動を続けています。 【創世期】設立は1992年で、当初は川名清水谷戸を愛する会(以下「愛する会)として発足しました。 ただ当初、見直しといっても「反対」ということでは行政とうまく話し合いの場が持てなかったこともあり、地元の人に谷戸という場所をもっと知ってもらうことから始めようと観察会を中心に活動を続けてきました。 (このころの写真はGallaryに少しですが掲載してあります) 【カンブリア期】1996年にたまたま日本大学の自然保護研究会のメンバーが地元で活動をしてみたいと、藤沢探鳥クラブの事務局さんに手紙を書いたところ、事務局さんが「川名といえば・・」ということで愛する会の事務局(八城)にその手紙を持参され、ご一緒に会うことになりました。 これが現在レンジャー隊の中心となって活動を進めている学生の谷戸への関わりの始まりだったのです。 その当時愛する会の活動は観察会から発展し、誰も手入れを出来なかった谷戸のアズマネザサを刈るなど肉体的活動を始めていました。 この肉体労働が学生のニーズ!?に合致し、学生たちを谷戸の作業へとのめり込ませることとなったわけですが・・ この時点では自然保護研究会と愛する会の協同作業という形でした。 【ジュラ期】特にこの時期、自然保護研究会のメンバーがNPO国際ワークキャンプセンターNICE(とうじはNPOなんていうのはありませんでしたのでNGOでした)に入っていたこともあり、NICEのメンバーがかなり参加してくれていました。 彼らもまた肉体派! 来るメンバー来るメンバー、バリバリ働いてくれるので助かったのですが・・ 1997年にはこのNICEが国際ワークキャンプの活動場所として川名清水谷戸をフィールドとしてくれたため、海外の青年(学生含む)と日本の青年(学生)がこの地で1週間(あと1週間は他の場所で行いました)汗を流すことになりました。 地元の人に呼びかけホームステイを募ったりと、かなり忙しく、楽しい時間を共有出来ました。 まあ、ワーク公用語の英語にはめちゃめちゃ困りましたが・・ (^^; 【始祖鳥期】新生代というのかなぁ、本当はそんなこんなで日大の学生はこの谷戸で汗を流すことに愛着を持ってくれるようになった様です。 そんな折り事務局が、子どもが通っている新林小学校の家庭訪問の際に担任の先生に会の活動を話したところ、「是非子どもたちを谷戸に連れて行って」と言うことになり、総合学習が始まりました。 この時点ではまだ「総合的学習の時間」というのは始まる前(1年前でしたので試行段階でした)でしたが、いきなり1学年全体(3年生)で春夏秋冬やろうということになり、事務局びっくり! 自分がやるのがおっくうな事務局は即ピカリン!とひらめき、講師手伝いとして学生を誘いました。 この作戦は大当たり! 子どもたちの反応はものすごいものがありました。 大学生は子どもたちのお兄さん的存在としてその後圧倒的な人気の元現在に至っています。 【そしてそして現在に至る】こんな活動をなんとか続けていたら・・ この頃になると私たちの活動も徐々に認められるようになって来て、活動フィールドも現在の池奥の部分をエコアップ対象地域として市から認めてもらえるようになっていました。(ちょっと誇張し過ぎ!?) 川名緑地の重要性も行政サイドからも認識されて、保護策も考えてもらえるようになったのではないでしょうか? 活動的には谷戸の畑も使えるようになり活動拠点も出来、足を地につけつつ活動することが出来るようになりました。 そんな状況になったこともあり、それぞれ別々の団体として作業に参加するのではなく一つの団体として活動しようということになり川名里山レンジャー隊を設立しました。 現在ではワーク、谷戸探検、平ボラ、生物調査、畑、等々広範囲にわたり活動を展開しています。 【これから】そんなこんなで「楽しい!」と活動を続けているレンジャー隊。 「今ある自然を後生に残す」ということは、その努力(活動)をやめた時点で希望おしまいだと思っています。 自分たちの活動が続いていれば自然を残すという未来があると思っています。 |