『川名通り町市民の家
平安時代末期(12世紀末)には、武士が勃興しつつありましたが、
その武士の反乱平将門の卵が関東地方に起こりました。
この乱をを平定したのが、村岡地区に居住し、
村岡良文(むらおか・よしふみ)と称していた平良文です。
良文の子、影政(かげまさ)は、後に源義家に従い「後三年の役」に従軍しました。
通り町はそうした武士の軍馬が通行急速した場所であったことから起こった地名で、
これをとって川名通り町市民(かわなとおりまちしみんのいえ)と名付けました。』
ということです。
ここ川名は鎌倉にほど近く、
もとは鎌倉郡だったように鎌倉時代にまつわることが沢山あります。
鎌倉時代より前というんですから、古いですよねぇ〜。