んにちは!

自然保護という言葉が市民権を得て、ビオトープ(Bio-top)という言葉も一般に通じるようになりました。

では少しは環境が守られているかというと、なかなかそうそう手放しでは喜べない状態のように思う今日この頃です。

なんといっても危惧されるのが、言葉だけが残り実態が残らないという悲しい場面。無くなったから「ビオトープを作り再生しました」なんていうのがその典型。ビオトープを作ることが開発の免罪符になっちゃいます、怖いことです。

そして現状はといえば「その場所が少しでも残ればそれでいいでしょ」という感じではないでしょうか。
たしかにこの時代全ての緑地等を残すほどの余裕はないというのは分かっています。
そういう意味では少しでも残るということは幸せなことです。

と・・ ここまでの流れは人間にとってのお話し。

例えば私たちがヒキガエルだとしたら(ってなんていうたとえじゃ!)ことはもっともっと重大なことなのです。

残った場所で子孫を残せるのでしょうか?

つまり、
結婚相手はいるのでしょうか?
自分は見つかったとしても子どもの代や孫の代でも家族以外のグループが残っているのでしょうか?

また、ヒキガエルでなくオオタカだったら?

人間の都合だけでビオトープが作られても、本当にそのビオトープで生態系を維持できるのでしょうか?

そういった問題がいま色々な場所で論議され始めましたが、なかなか保護策として定着まではしていないのが現状でしょう。

このような問題は実は私たちの大好きな川名緑地も直面しています。

そんな問題の解決策の一つがコリドーです。

そんなコリドーについて分かる範囲ではありますがご説明し、かつ提案をしてゆきたいと思います。

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